朝五時の食品サンプル

魔女になりたい!/朝丘せろり

背伸びの理由 -推すことと自己―

25日、初めて好きになったアイドルを生で見れる予定なので、その前に自分の中でいったん総決算として書いた!

内容的にだいぶ書き手の自我が出ていてグロい怪文書なので気を付けてください~。

 

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 いまから書くことは、あくまでもわたしが思ったことなので、どうかこれを読んだあなたはあなたの見たものを信じてほしい。わたしは脆く、わたしの心臓を射止めたそのものである大好きな人達のステージの上での魂の影を確かに見たと思ったはずなのに、時が経つとあれは本当の輝きだったのかと、自分の頭の中で固定しようとした美化された思い出なんじゃないかと、心無い声に簡単に惑わされて信じられなかったり、揺らいでしまったりする。それに抗ういたくて、もう一度信じる強さを持つために、なるべく言葉にしてみたい。

良かったらあなたの見た光景も浮かべてみてほしい、あなたのそれをわたしも読みたいです。“うまく言えないけど”、と言ってみる。慣れない、でもうまく言えなくてもその言葉を挟んでみることこそが大事なのだと、他でもない大切なアイドル達が教えてくれたと思ったから、返しきれないほどもらった気持ちを忘れる前に書こうと思う。

 

 

1-1.2022年3月のこと

 

※この章には『INI 1ST FAN MEETING』の「BIHIND」のネタバレが含まれます。

 

 その日、わたしはINI 1ST FAN MEETINGの「BIHIND」のディスクを見ていました。要するに公演の舞台裏映像で、これは2021年11月24日に行われた、INIというアイドルがデビュー後に初めてファンの前でパフォーマンスをした公演です。当時わたしは現地には行けていません。幼馴染から勧められてINIに本格的にはまったタイミングがチケット申込期限をとっくに過ぎており、そのとき残業がやばかったけれどぎりぎり配信視聴期限にすべりこんだ覚えはあります。それから約4か月後に発売された円盤に、公演とBIHIND映像が収録されていて、わたしはTLでフォロワーさんが先に内容を見ているのを観測しながら、楽しみだなあともろもろ終えた寝る前に、期間限定のバスクチーズケーキ風のピノをお供に鑑賞し始めたのを覚えています。

 呑気にアイスは美味しいしこういう舞台裏の映像って練習とかの作品をどうクリエイションしているかが垣間見れて楽しいな、いい夜だな~と見ていたわたしはラストに起こった出来事に両手で顔を覆って嗚咽する羽目になります。

それは、わたしを撃ち落としたいわゆる推しであるところの、キラキラアイドル担当・尾崎匠海さんが、公演の最後にほかのメンバーが思わず涙ぐんだり号泣しながら一人一人最後の挨拶をしたりしているなか、最後まで揺るがない声で挨拶を終えファンの前では涙を絶対に見せなかったのに、BIHINDの最後で誰も来ないであろう建物の廊下でカメラからも逃げながら背を向けて泣いている姿が映ったからでした。

 どうして、そこまでして? と思いました。何があなたにこんなにも目に見えない強い力をはたらかせて頑なにさせるのだろう? と。

アイドルの在りようはひとつではなくて、感染症で外出やライブが制限される時勢で初めてグループとしての自分たちのファンを見たメンバーはそれぞれ背景やたくさん思ったことがあっただろうし、最後の曲を泣きながら踊っていた佐野くんの姿や、あの西くんの伝説の挨拶は胸に来るものがありました。廊下にいた尾崎くんを心配して、リーダーの木村くんが来て話しかけてくれてBIHINDは終わりました。そのとき尾崎くんが木村くんに向けた、破れたような声が耳に残って離れませんでした。

果たして、わたしは本当にこの姿を見てしまってよかったのだろうかとも思いました。でも、わたしは馬鹿だから、想像力が無いから、知ることができなかったらあなたがわたしたちに見せている笑顔の裏にあったものを考えてみることもなかったかもしれないと思うともっと恐ろしくて、その判断もできないまま、戸のすき間を風が通るみたいな音を出しながら泣きました。

もらい泣きとか、共感したとか、そういうのではまったくないのです。

わたしはこの人のことを、一生かかっても理解できないかもしれないと思って、そのことが本当に果てが無くかなしかったのです。

 

1-2.宣誓

 

【絶望】

わたしは尾崎匠海さんのことを一生かかっても理解できないかもしれないこと

 

【宣誓】

それでも、(わたしが)やること。

 

一つ、対象をよく見ること

一つ、原典にあたること

一つ、推すことの加害性と、それでも“善き”オタクになる術を考え続けること

 

1-3.その名乗り

 

 尾崎くんは、いつも「キラキラアイドル担当!」と自らを名乗ります。そんなところが好きだと思います。空気を多分に含んだハスキーな声で曲で何を伝えたいのかを解釈し感情を織り上げて歌う姿や、曲が始まってから終わるまでずっと繊細につくり上げられたくるくる変わる表情演技をたずさえて踊る姿だとか、パフォーマンスがキラキラ輝いているのは勿論、彼は常にポジティブであることをモットーにしています。こう……あの……お勉強はできないタイプなのですが(赤と青を混ぜたら黄色になると思っていたらしいです)、高校生のときから芸能の世界で下積みをしてきた彼は、人一倍「アイドルとはどうあるべきか、応援されるようなアイドルでいられたか」を絶え間なく哲学して実践していて、それはライブのときの挨拶の言葉選びなどからも感じます。メンバーも、時おり人を突如バミューダトライアングルに巻き込むような尾崎くんの「???」な言動や行動をいじりつつ、グループの未来をいつも考えてくれていると言ってくれます。

 そのほか、印象に残っている尾崎くんの発言です。

 

・ヒーローになりたい

・「口にすると叶う」

・「好きなんだと思う、人」

 

 さて、こんな風に並べてみて、己の見識が狭いので引き合いに出せるものが自分のものさししかなく、やってみるとして。引っぱり出して無理矢理あてはめて考えてみても、いつもいつも「わたしは尾崎くんとは全然違うな……」ということを思い知らされる日々です。

 まず、わたしはこう、ネガティブなマイナス思考を全てアグレッシブに暴露して周りをバッドモードに引きずり込んでおきながら当の本人はネタに昇華できてスッキリしているという悪行を重ねる人間なので、落ち込むことがあっても外に出すものはポジティブにするというのが、というかまず自分をポジティブと公言するのって要はポジティブでありますという宣言としての性質を持つような気がしていて、その道を選ぶのが、すごいなあとなります。彼は天然気味で抜けているところがありますが、要所要所で表では“言わないこと”を選んでいる、自分を律して発言する人間だなと観測してきて思っています。他にもまた、ものさしをあててみて、年も年なのでヒーローになりたいとか思う若い気持ちもなくまず自分の日々がガッタガタで余裕が無いし、そもそも口にしたら叶うとまで言えるのは叶ってもいい準備がある人だけだよな……と思うし、わたしは“人間”という言葉を聞いたら真っ先にサジェストされるのは“憎い”という単語なのでこれに関しては全くその感覚が分かりません! 尾崎くんはキラキラアイドル担当を標榜していますが、息抜きに見るのは重い、最後になっても答えの出ない人間の暗部を描くようなシリアスな邦画系の映画らしくラインナップを見て怯えました。そ、それは息抜きなのか……? 何があなたをそうさせて、それでも人というものが好きだから見れるってこと……どうしてきみは……(以降無限ループ)

 わたしは尾崎くんを推す前は二次元とか物語作品派生のキャラクターが基本推しだったのですが、なんかやっぱり推しになり方が違うんだよな~と思います。物語における推しって、自分と思想が共通していると思った人を好きになる傾向がわたしにはあり、一見自分とは遠いように見えても、置かれているポジションが似ていたり過去に体験したことが似ていたりしていて、同じような葛藤にどうやって向き合って答えを出すのかとか、その上で「この人みたいになりたいな、こうありたいな」とその在りように憧れて好きになるということが多かったです。

 その点、尾崎くんは違います!(違うんかい)わたしは尾崎くんをお顔で気になり(正直者)、Youtubeに上がっていたオーディション時の個別定点映像(チッケム!)でDynamiteをカバーして踊る姿を見てかんぺきに好きになったので、性格や人柄や信念が最初の共感ポイントとかでもなく、好きだから気になるという順番であり、共通点と言える共通点が特にありません。だから、思考に予想がつかなさ過ぎるし、自分の憧れを追いかけた先にある像とかでも最早なくて、尾崎くんが考えていることに繋がるヒントすらわたしの思考の外にあり、推し量ることすらできない、だからあなたのことが本当に分からないと思いました。

 そんな感じで、しかもアイドルを推して二年目の若輩者なので、尾崎くんのことはおろか、尾崎くんの掲げるキラキラアイドルというのは果たして何なのか、それは人に何を与えるのかについて、わたしは掴みあぐねています。自分にとって全く分からないものをその人が追い求めているのを見て、わたしは「ばあばが言ってたんだけど、」と母から聞いた言葉を思い出します。「なりたいって思ったら、その時点でもう才能があるんだよ」と。その言葉の真意や論理は分かりませんでしたが、いったんそれを正としてみたら、尾崎くんがキラキラアイドル担当を名乗って、そうあろうとしていること、この世からそれを選んだことが、もう才能なんだと思います。

それでも! とわたしは思うのです。たとえ、一生分からないと思っても! “あなた”と“わたし”が“推し”という一点でだけは繋がっているのなら、諦めたくないぜ! あなたの大切にしている軸がわたしにはまだ見えないけれど、あなたほどの人が執着するならそれはきっと何か意味を持つことだから、そうさせる見えない力の存在のことを、なんとかして見てみようとすることを忘れず、心に留めておきたい、その正体をできるだけ考えてみたい。わたしは愚かで、わたしの中にはにこやかに笑っている人を見て、あの人はいつも幸せそうだと何も考えずに思ってしまうような鬼がきっといて、時々顔を出しそうになる。アイドルがその裏にあった苦難をステージの上では見せないで、わたしたちはその中から表に出してもよいと判断された一部を雑誌やテレビのインタビューでしか知る機会がないのなら、キラキラした姿をだけを見てただそうなのだという酷いことを思ってしまいそうな自分が恐いから、この人たちのことをよく見て、言葉をちゃんと聞いて、想像することを忘れないようにしたい。

オタクはがんばる! オタク形を変えるぞ! 自分の形を変えてでも、あなたを知りたくて今まで考えもしなかったことを考えて、自分をストレッチさせていくことをしたい、せめてそうしたいよ! コンパスで円を描く光景を想像する。予想もしなかった白紙の地帯にぽんっと針を落とす人生になって、あなたがまだ見えないほど遠くたってその地面をさらって前よりも重なる誰かの円が、重なった表面積が増えていったらと思う。他人の気持ちがたくさん分かる人間に、なりたいと思う、その先にいるあなたを少しでも分かりたいから!

人生とは他者と出会うことだから、分かり合えなくて同じではなくて希望を断たれたような気持ちになったとしても、思いもかけなかった瞬間を閉ざされていた思考にきらきらあなたがくれることが、その絶望と張り合って今日のところは勝つ夜がある。あなたを分からないと思うことに、圧倒的な差異を感じるたびに折れそうな日々だけど、だけど同時に、ええい、そこが愛しいさ! この痛みさえきみがくれたのだから! と思えるようになりたい。なれるだろうか。

今は強がりでも言ってみること。

 

【願い事】

知りたい、分かりたい

 

【コマンド】

 ストレッチ

 

2-1.誰かになりたいの運命(ほし)のもとの生まれ

 

 謎に迫るため、“なりたい”という気持ちを軸に考えてみると、わたしは学生の頃からずっと“誰かになりたい”という激しい衝動にめちゃくちゃに振り回されている人間だったことを思い出します。

 その“なりたい”って、努力してこんな風になりたい! という類のものでもなく、本当に本当に、友達その人自身になりたい、自分の意志とか消滅していいからその人に同一化してその後の人生を送りたいみたいな“なりたい”でした~。えっアイドルの話をしてたのに突然何? こわすぎ! すいません続けます。

こう、人って青春時代に王の器を持った人間に出逢ってしまうことがあるじゃないですか(さっきから世界観強くない?)。近しくなってしまったが最後、自分に無いものばかりが目に入ってとても手に入れられないそれが一番だと思って、わたしは就活のときどうしてもESが書けなくて一時就活を完全に断って丸二か月引きこもり生活を送っていたことがあるのですが、そういえばこの文章を書くにあたって気づいたんですけど、そのときに書いていた自分の長所とかアピールポイントって、考えてみたらわたし自身のものじゃなくて、そのなりたい子の長所だったんですよね! こ、こわ~(笑)!

その理想以外は無価値、自分のはみ出している部分を削ってでもその人になって世界を見てみたくて、あれってなんなのでしょうね? 何のためにそういう衝動を人は持つのでしょうか。

こう、なので痛い目に遭って年を重ねてからは己と言う暴れ馬を乗りこなさなければいけないことが分かってきたし、ちょっとその馬の制御の仕方も分かってきて、有り体に言えば自分を活かすしかないんだなあとぬぼ~っと思ってきました。

 

2-2.もう一度、なりたいと

 

 このような背景から、“なりたい”という衝動に近年は注意を払って安易に飛びつかないようにしていたのですが、ここで話は戻ります。わたしはINIさんの姿を見ていると、こんな風になりたい! と、まっさらな心で、できるかどうかはともかくもう一度と思える瞬間があり、そういう気持ちがまだ自分の中にあると思えたことが、わたしを柔らかくして、なんでもできるようなパワーが残っていた感覚にさせます。

 池﨑くんの傾聴、尾崎くんの肯定、木村くんの全方位への神経の行き届きと配慮、後藤くんの柔らかく変換された言葉たち、佐野くんの人の感情の機微への聡さ、フェンファンくんのこの時代を生きるわたしたちを守ってくれる明晰さ、髙塚くんが好きを伝えるトーン、田島くんの業界経験から差し出されるケア、西くんの全力で人を愛しきる姿勢、藤牧くんの誰も取りこぼさないツッコミ、松田くんがいつも大きな声でリアクションをすることを選ぶところ、ここに書ききれないところたくさん! INIさんって、人をてらいなく褒めたり、相手の気持ちを考えて伝え方を工夫したり、とにかく優しさの手数が多いところをコミュニケーションが上手いなあとわたしは感じ、番組でのインタビューやカムバックショーでのトーク、コンテンツを見ると思います。なんかこう、テレビでグループとして紹介されてMCの人とかと喋るときもメンバーのことをストレートに褒めていて、それって本当に意地悪な見かたですが捉え方によっては内輪感を感じさせるから面白くするために皆の前でわざと強い言葉で落とすみたいな運動を人間はとることがあるけれど(その手段を取れる人たちは言ってもリカバリできる関係性が普段から作れているということも勿論ありつつ)、それってセンスがいることで、INIさんの場合は最後まで傷つける可能性がある言葉を言わないようにすることを選び続ける方針みたいなものがあるなあと勝手に感じて、自分だったらそうできるのかなと思ったりする。私見

気遣いとかの感性が皆無な自分にとって、やさしさって幼いときに無意識に与えられていた行動をそのまま繰り返しているか、後天的に得られるとしたら「ああ、これは優しさなんだ、人への気遣いなんだ」と他人の行動を見て気づいてからが始まりで、それを自分でやろうと思って実践を繰り返すことでしか身に着けられない気がしていて、INIさんを見ていると自分は所詮くず紙のように丸まっていて丸だから人間ですよ~と外見をつくろっているだけで、その折りたたまれた皺の中にじゅくじゅくとした自身の醜いまでの幼稚性が隠されていて、広げられて明らかになったら本当に見るに堪えない恥ずかしくて未熟な人間なんだなと想像したりもします。でも同時に、やさしい人になれるように頑張りたいと気張らず素直に思えていて、なんだかある種カウンセリングというか行動療法? を受けているみたいな感覚で、人にやさしくする方法を学べると思ってINIさんのコミュニケーションを見ていることがあります。

 

 

2-3. 人生の周数の謎

 

すこしずらして、“ありたい”という力のことについて考えたとき、西くんと木村くんを見ていて思ったことをそれぞれ話します!

 

 西くんはグループの最年長で、ダンサーとしても活躍していた過去を持つ大変にダンススキルの高い頼れる人物です。精悍な顔つきで、寮で言ったらスリザリン(?)、クールに見えてみんなに喝をいれることもあればメンバーの悩み相談にも乗り激励することも欠かさないメンタル面のケア力もある大変熱い人物です。お笑いが好きらしく、バラエティコンテンツでもエンタメ性を担保できるよう皆を煽りツッコみ場を盛り上げたり、ちょっと自信がない時に小さめの声ですっとぼけた顔でボケてみるものの、表情で「この人、ボケようとしているんな」ということが伝わってしまったりするチャーミングな人です。

 西くんと言えば、2022年8月28日に放送された『逃走中~上陸!猛獣の島』の彼の行動が印象に残っている人もいるのではないでしょうか。自分の行動が原因だと考えて、捕まってしまったザ・マミィの酒井さんを復活させたときの回です。

事の経緯はこうです。まず、ハンターから逃走しながら別の逃走者一人とツーショットを撮るというミッションがあり、逃走者は相手を探しミッションを達成しようとします。西くんは酒井さんと電話をして集まって撮ろうと約束したものの、向かう途中で別の逃走者と会ってしまい写真を撮ったことで、酒井さんがあぶれ捕まってしまいました。

『逃走中』はこのゲームで参加者の人間性が見える瞬間が面白い番組なのかなという印象があり、たとえばこうなってしまったときにゲームですからとドライに突き放し言葉巧みに悪役に回って大太刀回りし、番組を面白くしようと頑張る方もいらっしゃるのかなと思います。それもセンスがなせる技で、でもこの時の西くんは「俺のせいだ……」と本当に責任感を感じてしまっているようでした(この後も、一緒に集まって隠れていた逃走者が見つかった時に散り散りになって捕まったのにも「また人を見捨ててしまったかもしれない」となっており、こう、見ている側の「いや、そういうゲームだからそんなに責任を感じなくてもええんやで…」となる温度差がちょっと面白くて、でもそんな西くんがかわいらしかったよな)。

そこで、次のミッションが明かされます。それはそのミッションを成功させればハンターに捕まった人を復活させられるカードが手に入れられるものでした。西くんは酒井さんを助けられるかも、とミッションに挑戦し見事カードを手に入れます。そして、酒井さんを復活させたのです。

なんでしょう、そんな西くんに胸を打たれたのって、西くんが酒井さんや別の逃走者が関わりのあった状況で捕まった時に責任感を感じてしまうような人だったという、状況に対して現れた西くん固有の人間性の繊細さを愛しいと思ったし、後悔したことに関してリカバリのために建設的な手段をとっていったクレバーさにこいつはやるやつだぜ! と気持ちよく唸らされたところがあるのかなと思います。

 

 INIのリーダー、木村柾哉さんの話をします。

 木村柾哉さんについては、私見として「王の器を持つ人なんだよな……」と思っています(まだその世界観続いてたんだ)。彼も以前はダンサーをしておりダンス講師もしていて、この前出た雑誌でメンバー総当たりの各メンバーに対して一言ずつコメントをする企画では、まるで先生たちが一球入魂して書いた小学校の通知表のようにそのメンバーのことを見抜いていて、かつ今後のその人の可能性の方向についても同時に示しているような照らしているようなコメントをしていたのを読んで、わたしはその慧眼に驚くとともに人というものに対する鋭敏さや教師性を感じました。手紙を書いて人に渡す習慣を持っているところや、最初から最後まで丁寧に柔らかい言葉で綴られたファンクラブ限定ブログを読んで、なんだか幼稚園の先生みたいなところもあるなあとも思います。

 なんか、でももうこれ以上わたしは木村柾哉さんのことを説明できないんですよね、この人もあまりにもわたしの思考の外にあり類推すらできないタイプの人であり、人生何周目? って言われるような人っているじゃないですか、そういう雰囲気を持っていて、すごく思考して隅から隅まで気を本当に抜かないからリーダーの器なんだなということは何となく伝わりますが、説明が……できない……。エピソードとして印象的なのはデビューがかかったオーディション番組で振り付けとリーダーを担当しながら、自分以外のメンバーも輝かせようと見せ場を作っていて、むしろ自分の見せ場をもっと作っても良かったんじゃないか? と感じさせるような人であったということ……。

 でも! と思います。人はやはりどの人だって人生を何周もできるわけでなく、たった一回の生をやっているのだから、あなたのどんなところがわたしにそう思わせているのかを、考えてみたい。

 さっき西くんのことについて書いていたとき、わたしは後悔がその人に何らかの方向性を持たせるのではないかと思いました。後悔をしてこう思ったから次はこうしたい、どうすればできるか考えること、そしてそれは後悔とだけ表せるものではなくて、これだけは捨てられないもの、大切にしたいものを選んだ時も方向性を持つのではないかと思いました。

 想像します。人生の選択を、人間性を問われるような選択を迫られたとき、過去の後悔を検証してきた結果の集積を基に、また、こういうときに自分はどうありたいかという抽象的な思考を——たとえば自分より他人を優先したいとか、選ぶべき道を——まだ目に見えない、あなたの想像の中だけにあるありたい姿を、それでも手綱のように握って、複数の視点から、もしかしたら人の何倍何十倍と決断を重ねてきたことが、その人の人生の周数が多いようにわたしたちに感じさせる可能性があるのだろうか、と。

 

 ねえ、たぶんわたしたちが光っていると思うのは、あなたたちのその志向性を源光として見たからではないですか。志向し鍛錬を重ねてきた魂が、あるいは日々の選択を重ねる中で、削ぎ落としてきたものがあったとしても、どうしてもそれだけは落とせないと選んできた先にできたその人の人間性こそが、光って見えるのではないだろうかと。

 

2-4.あなたになりたい、は

 

 ここまで書いてきて、わたしは思ったのです。わたしがその人になりたいと思った子も、頭が良くて、わたしの何倍も想像力があって現実への対処が上手い人でした。

 あなたには、とてもなれない。それでもあなたになりたかったのは、わたしが本物だと思ったあなたのすごさを、あなたを知らないほかの人にも絶対に絶対に伝わる言葉で表したくて、でもその材料はどうしたってわたしの中にはなくて、あなたを説明するためにあなたの考えることを分かりたかったから、なりたかったのかもしれないこと。

 

それでも、アイドルのあなたたちも神さまではなく人間なのだから。

あなたにはなれなくても。ずっとあなたがどんなふうに何を考えて来たのか、あなたを見ては検証し続けるのだろう、少しでも言葉にしたくて。

 

【願い事】

あなたになりたい

 

【コマンド】

なれないあなたを想像する

 

 

 

3-1.ミュージカル『刀剣乱舞』~真剣乱舞祭2022~

 

 “誰かになる”ということについて考えた話をします。

 

わたしは尾崎くんのダンスや歌を見ていると、「この人の表現が好きなんだなあ」という気持ちになることがままあります。表現ということについて、尾崎くんがFAN MEETINGのときの挨拶で「僕たちはアーティストなので、パフォーマンスを通して人を支えたい」というようなことを言っていて、どうして通さなきゃいけないんだっけと、わたしはまだその言葉の意味を今も完全に分かってはいないのですが、その分からなさと共に抱いています。あと、曲とかパフォーマンス映像が出ると裏話などで明かされる「何をどう表したくてどう工夫したのか」みたいな話を聞くのが好きで、表現について考えるのがどうやら好きみたいです。

 ですが、果たしてわたしは推しが表現したものを受け取れるほどの知見が、素養が備わっているのか? 正直、足りないと思われ、そのためにあらゆる表現に通じなくては……! とコンテンツの鑑賞を積極的に頑張ろうとする闘志にバイタリティがまだ追いついていた時期に、大学で知り合った数年来のマブダチ(以降、Kさんと呼びます)に「ミュージカル『刀剣乱舞』~真剣乱舞祭2022~の福岡公演に行かない?」と誘ってもらいました。

 

 Kさんとは漫画やアニメについて語り合う中で、わたしが新体操やダンスをやっていたKさんに見解をもらいたくINIの動画を見てもらったり、逆にわたしがミュージカル刀剣乱舞(以降、刀ミュと呼びます)の配信を見て感想を述べたりなどしていました。刀ミュはあの人気ソシャゲ刀剣乱舞を基にしたいわゆる2.5次元ミュージカルであり、刀の付喪神という設定のキャラクターに扮した役者さんたちが、殺陣に歌に踊りに和太鼓に、はたまた舞台上で傘に和紙を貼ったりわらじを編んだりと日本の伝統芸能がこんな形で継承されるとは当初は誰も思っていなかっただろ! という想いにも至らせてくれる総合芸術作品と呼ぶにふさわしいコンテンツとの認識を持っています。あと、物語を第一部でやったあとに、それがすごく重い話であったとしても、第二部でそのキャラクターが現代っぽい、(なんというか、アイドルチックな?)曲を歌い踊り披露しお客さんはペンラを振りブチ上げになるという容赦ないコントラスト、キラキラの激流を浴びると言う構成になっていて、初めて見たときは衝撃でした。そんなのありなのかよ!

 話は戻りますが、その『真剣乱舞祭』というのは作中もしくは第二部中で出た曲をキャラクターに扮する役者さんたちが歌い踊る催しということでした。「加藤大悟さん、福岡公演に出るけど絶対ソロあると思うよ! チケット申し込むから行こうよ!」と大変熱い魂を持つKさんは全力でおすすめしてくれました。わたしは以前、これも2.5次元ミュージカルの類なのですが『魔法使いの約束』というソシャゲファンタジー文学と言われた作品の舞台で、ヒースクリフ・ブランシェットさんがこの人生の中で目の前に現れてくれたときから、ヒースを演じる加藤大悟さんについては存じ上げお慕い申しており、Kさんのお言葉に甘えることにしました。

 そんなわけで、Kさんにチケットを当ててもらいわたしは6月の頭、真剣乱舞祭福岡公演2daysを浴びてきました。楽しい!! 面白い!! 景気が良すぎる!! 景気のいい舞台って最高!! なんか船が(船が?)1公演で5隻とか出てきたような気がする!! 山姥切国広を演じる加藤大悟さんはこれで舞台経験3回目ってもう嘘だろみたいな魔王のように貫録で情感たっぷりに(?)ソロを歌い上げており、わたしはどの姿勢からでも持っていくビブラートの響きに唸らされ、『えおえおあ』のファルセットに歌声がきれいすぎるという理由で人は泣きたくなるんだと顔に強く力を入れながら思いました。大好きになってしまうような人がたくさんいました。堀川国広さんのハリのある音楽の喜びとはこれかと思わせてくれるような歌声、ディズニープリンセスのような蜻蛉切さんの力強い歌唱、豊前江さんは舞台上で永遠に端から端まで走り続けていてキャラクターを表すんだという覚悟がすごかった。蜂須賀虎徹さんすごいきれいな人だと思ったらウルトラマンXの主人公をやられていた俳優さんでした全然違う! 今剣ちゃんの活発で有能なサークルのマネージャー女子みたいなビタミンキュートさ、肥前忠広くんの指先まで神経の張り巡らされた踊りを見た人はみな、この人はどれだけ芸という道にずっと真面目に取り組んできたのだろうと思ったことでしょう。他にも、ここに書ききれなかったことがたくさん、演じる人の熱に胸を打たれました。

 ずっと胸に残っていることの一つに、1日目の最後の大包平さんの挨拶の言葉があります。大包平さんはキャラクターとしては熱い人物で、こう、それぞれの人の葛藤と覚悟があるけどうーん、うーん、それで本当にいいのかなでも……となるようなことに「そうじゃないだろ!」と怒ってくれる光のような人です!(?)そんなキャラクターがキャラクターのままで、言葉を送ってくれました。「主よ、時には辛くて下を向いてしまうこともあるだろう」。感染症という時勢の中、多くの演劇の公演は軒並み中止になったここ2年であり、刀ミュもそうであって今回の公演は感染症対策を施された上で実現された真剣乱舞祭だそうです。大包平さんは言いました。「そんなときは、俺たちに会いに来い!」と。舞台の上の人の言葉だと思いました。ずっとずっと、夏のお守りでした。

 人が、本当に心をやられてしまうとき、長い期間、たとえ回復したとしてもしばらく尾を引くほど、感受性がはたらかなくなり何か物語を見たりかつて楽しいと思っていたことをしたりしても、何も感じなくなってしまうことがあります。もしくは、身体を壊してしまったり、そもそも人によって身体の強さはばらばらであったりして、辛い状態にあっても劇場に足を運べない人もいるでしょう。もちろん、辛くても劇場にだけは来れたという人も同時にいるでしょう。

 だけど、あの日の大包平さんの挨拶のように、舞台の上の人がその公演に来た多くの人をたくさん救うということが億が一でも起こせる可能性に懸けて、そのために芸を磨いてくれるのではないかと思いました。

 2日目の公演も、1日目の公演と同様、祭りをするという想いを込めて刀剣男士たちは日本の各地域の舞踊を繰り広げていました。きっと、役者さん達はその土地の踊りを勉強して、さらにそのキャラクターならどう解釈してどんな特徴を持って踊るのか研究しつくして、この日舞台に立ってくれたのだろうと感じました。

 どうして、あなたたちは、誰かになろうとしてくれるのですか? 

だって、人間は刀には(正確には刀の付喪神には)、どうしたって本当にはなれないじゃないですか。絶対になれないものになろうと、自分のかたちを変えてでも役に尽くし、その気持ちをどうにかして分かろうと、誰かがこんな人がいてほしいと望んだ人に、求める人の声さえ聞いて、なろうとしてくれるのだろうと、わたしには分かりませんでした。

 でも、同時に、知っています。

自分と似た罪や後悔を持つ人、許せないことに怒ってくれた人、底抜けに明るくいてくれる人を、絶望を、希望を、勇気を舞台の上に見ることがどれだけのことかということを。それがあれば、わたしたちはこの世に本当はそれがなかったとしても、いやそれは本当にあるのだと信じて、表すことが誰かを救えるかもしれないと舞台の上でその身体でその声で表現してくれた人を見ることができたのなら、その時点で、それは本当にこの世にあるんだと思うことが、揺らいでも信じることができます。そのことに物凄く生きる力をもらったり、描いてくれてありがとうとずっとずっと握りしめてお守りにし続けることができるのを。

 どうしたら、わたしはあなたたちに報いることができるのでしょう? もらってばかりで、芸能という予測できない厳しい道を選んで続けてくれたあなたたちのために、何ができるというのでしょうか?

 2日目の公演の初めから、誰かが歌い踊るのを見るたびにわたしはその問いがずっと自分の中にリフレインし続けて、答えは出ず、ただ泣いていました。

 

【コマンド】

 報いる術を考える

 

『問わず語り』、本当に歌詞が綺麗で人間のいじらしさが出ていて知っている刀ミュの中でいちばん好きな歌です。

https://youtu.be/aDvNW5RpzsY

 

 

4-1.ヒーローとは

 

※この章は暴太郎戦隊ドンブラザーズ・第10話『オニがみたにじ』のネタバレが含まれます。

 

 ヒーロー、について考えたいと思います。

初期の話にはなるのですが、INIはオーディション番組から誕生したグループでデビューメンバーが投票により決定してしばらく後、各メンバーに対してこれから一緒にやっていくにあたっての互いに対するコメントを書いた色紙を公開しています。そのとき、尾崎くんは仲良しの藤牧くんに対して「京介‼ 一言だけゆうぞ‼ 絶対皆を幸せにするぞ‼」と書いていました。なんだかわたしはこのコメントに、尾崎くんの言うヒーローの姿というものが表れているのではないかなと思いました。思ったものの、例によって例の如く自分はそうは思ったことがないので()、その動機はやはり推測できず正体の掴めない言葉のままです。

ここはヒーローについて考えないといけないようですが、そんなとき暴太郎戦隊ドンブラザーズのあの話のあのシーに引っかかっていたことが思い出されます。

 

4-2.鬼頭はるかという人

 

 暴太郎戦隊ドンブラザーズは、桃太郎をモチーフとした今年のニチアサ戦隊です。レッドであるところのドンモモタロウと、猿・鬼・雉・犬をそれぞれモチーフとした個性豊かな4人のお供が、欲望を過剰に進化させてしまいヒトツ鬼という怪人になってしまった人間を元に戻すためヒーローとして戦う、毎週驚きをくれるアッパレなお話です。今回、考えてみたいのはお供の一人、オニシスターの鬼頭はるかさんが話のメインとなる大好きな回です。

 さて、この世界ではお供たちは選ばれてヒーローになるのですが、ヒーローになることで何かを失ってしまうという設定です。はるかは現役女子高生ながら売れっ子の漫画家でしたが、お供に選ばれた瞬間、身に覚えはない盗作を疑われ評判は地に落ち学校でも馬鹿にされることとなります。

 あの、鬼頭はるかさんは大変図太いところがありそれでも割とコミカルに暮らしていてそんなところが好きなのですが、ある日バイト先の喫茶店の謎多きマスターに、「きびポイントで願いを叶えることができる」と教えられます。それはドンモモタロウに貢献すると増えるポイントで、今までに溜めたポイントではるかは戦士をやめて元の人生に戻ることにしました。

 再び漫画家として順調な日々を送るはるか。どうやら、オニシスターには新たに後任に真利菜という女の子が選ばれたようです。順調に見えるも、実は真利菜はカメラマンという夢を失ってオニシスターになっていたことを知ります。——自分の代わりに誰かが犠牲になっているんだ。真利菜さんを犠牲にしてはいけない! そう思ったはるかは再びマスターに、自分は漫画家を辞めるからオニシスターに戻せ! と詰め寄ります。

 問題のずっと気になっていたシーンは、そのマスターに詰め寄るシーンではるかの足元がアップになり、背伸びをしているのが分かるカットになっていることです。なぜ、背伸びをするところにフォーカスして映したのだろう? わたしは画面構成を分析するタイプの批評法の勉強を積んでこなかったので読み解けず、でも何らかのヒロイズムに対するアンサーが描かれたはずだということは感じつつも、その意図が分からないでいました。

 

4-3.自分の中の…

    再び"なりたい"という気持ちについて考えるために、オーディション中に髙塚大夢くんが言っていたことを思い出します。

    オーディションの初期、髙塚くんはアカペラサークルに所属していたことがあり、歌がとても上手な候補生として話題になり、上から2番目のBクラスに選抜されました。未経験ながらもダンスも人一倍努力していたものの、Bクラスにはあと一歩でAに届かなかったもののダンサーをやっていた木村くんを筆頭に実力のあるメンバーが揃っており、自分と比べたときに果たしてオーディションで勝ち残っていけるのかと悩んでいました。その方法について質問した髙塚くんは、トレーナーからの回答を受けて考え方を新たにします。「他人と比べるっていう考え自体がおかしくて 自分のペースでできないことを(克服していくというようなニュアンスです) (中略)戦うべきは自分だから」とインタビューシーンで語っていました。

    もうわたしのような凡なる脳みそでは死ぬまでそのことに気づけなかっただろうよ……と髙塚くんの頭の良さに恐れをなし、だけどそうだよなあと折れそうになったときに何度も思い出す言葉です。有り体に言えば、その人の輝きの原石はその人だけの質感を持つのであり、それを輝かせるには世にある自分に合う方法をいくつも試していって己を研磨していくしかなく、完全にそれだけやればいいというぴったりした答えの明らかになった方法は存在せず、だからそのことに諦めそうになる自分との戦いなのかなと思いました。

そして、その言葉も思い出しながらこの文章について書くことを考えていたある日、思い至ったのです。

ーーーああ、わたしって本当に、この先も一生自分以外の誰かにはどうしたってなれないのだということに。

    笑ってしまうでしょう?  わたしはそのことを、本当には分かっていなくて今更気づいたのです。自分の部屋でそれに気づいたとき、部屋にある物を片っ端から投げつけて破壊したい衝動に襲われました。

    誰かが持っている輝きは、ずっと研磨されてきたものです。例えば優しさだったとすれば、それはその人がずっと過去にトライや後悔を重ねた上で、こうしてみたらどうかということを実践して繰り返し、そうあることをずっと選び続けてきたからとても素敵に見えるのです。わたしはそれを、してこなかった。何もわたしには無い。振り向いて残っているのは、手入れや鍛錬のされていない、わたし。この先何十年も誰かに成り代わることのない、感動も意外性も無いダサい自分をやっていかなければなくて、自分を輝かせようと思うのなら、それと向き合わなければいけない。そういう、とても耐えられない現実がただある。

   

   "なりたいと思ったら"

 

    だけど、

 

    "その時点でもう才能があるんだよ"

 

    わたしたちは、誰かになろうと、こうありたいと舞台に立ってくれる人に、どうしたら報いることができるのか。

    それは、わたしを生きることです。

    憧れたこと、捨てられなかったこと、どうしても許せないこと、選びたいこと、選ばないこと、怒ったこと。誰かが執着しているのを見て、必死で守っているのを見て、その力学を知りたいと思ったことも。この世にいくつものことが転がっている中で、それを見つけられたことは才能だとしたら。なりたいと、思うもの。自分の中にあるものと研磨してきたかもしれないものを全部使って、ストレッチするその運動、たとえ出来なくたって叶わなくたって途中で辞めてしまったって腐ってしまったって、憧れることはやめられなくて、そんなことも忘れて再びやり直すこと。打ちのめされる度、あなたとわたしの違うところを見つけてどんなに微かでもぎりぎりの接合点を辿ってあなたみたいになりたい、なってみたいと手を伸ばすこと、自分のかたちを少しでも変えてみようと身を差し出すこと。期限は、死ぬまでなのだと思う。あなたがたとえいなくなっても、思い出すだろう、残るだろう、出来なくてもその志向性を持つ軌跡が起こすことを。

そして、わたしは分かったと思ったのです。あの背伸びのカットの意味が。

ああ、ヒーローというのは、尾崎くんが名乗るキラキラアイドルというのは、背伸びなんだ、ストレッチなんだ。ちょっと無理をして物凄く頑張らないとなれないものにそれでもなりたい、その運動をする人であることなんだ。

きみが皆を幸せにするぞと言うのを見たとき、それはこの世に幸せでないことがあるのを知っている人だから、言えることだよと思った。そして、わたしはあなたの表現で、本当に助かった。この世にそれが本当にあると、信じてくれて、選び続けてくれて、ありがとう。きみの夢は、ちゃんと叶うよ。これからも、あなたのなりたいものが有機的に変わり続けることさえ、楽しみにしている。

 

5.

   なりたい、と口にすることの、その背景を知らなくともその過程を知らなくとも理論を飛び越えてそう思うことの何が愚かだろう?  叶わなくても、それが堆積してたったひとつでもどんなに小さなことでも何かの形になったら、その人の心を行動を動かしたのならそれはどれだけ大きいことなんだろう?上手くやれないこと、疲れて日々をやり過ごすしか無いこと、自分を甘やかすこと、その生活は全て大切でそのたった一瞬に"この人みたいになりたい"と思わせることがどれほどのことだろう?

わたしは愚かにも、分不相応にもこの先また懲りずに誰かに憧れてはまたなれないことに気づいてその度に新鮮に初めて気づいたように絶望して傷ついたような気持ちになり、だんだんそのパターンが自分でも読めてくるからこのままいくとこうなるから、と頭で予測して痛みを軽減するために安全に着地するためのセーフティな回路で着陸することが老いていくとともにできるようになるであろうけど、シャットダウンして鈍化させようとするのにその痛みは変わらずあり続けるであろうことがもう分かります。前借りなど先にまとめて消費しておくことなどできない、毎回なりたいと思い、そしてなれないことの絶望が毎度毎度鮮やかに私を打ちのめすけれど、その痛みが他者との出会いなのだと思います。

これはわたしの想像だから、まだ世界には足りず、だからあなたが見たと思ったものを信じてほしい、時々浮かべてほしいです。

 

https://youtu.be/yB95FFmtiVs

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うおー!! ライブ行くぞーー!